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日本の宇宙開発 ~初期から今までの軌跡~
日本の宇宙開発の歴史は、既に半世紀以上も存在します。現在では、海外のにも負けないほどの技術力と実績を残していますので、初期からその歴史と軌跡を紐解いて紹介していきます。日本の宇宙に関連する歴史は、世界各国と比較してもかなり特殊です。海外では、国家が率先して技術を開発していった傾向がありました。
これは、宇宙事業を拡大させることが最終的に軍事産業にも影響を与えると考えられたからです。特に、宇宙への関心が大きくなっていたとき、世界ではアメリカと旧ソ連が冷戦状態にあったため、宇宙への関心は第二次世界大戦直後から非常に高かった背景があります。ところが日本では、1950年代に糸川英夫という人物が中心となって開発を進めていきました。
ポイントは、国家が率先して開発を進めていたわけではないという点です。彼は日本の宇宙開発における父として認識されているほど非常に重要な人物です。糸川英夫が始めた小型のロケット開発は、やがて大型化していき現代に入っていくと人工衛星を打ち上げるための研究に繋がっていきます。衛星を打ち上げられる技術力と実績を残した時点で、ようやく国家も宇宙開発を専門とする機関を設置するに至りました。実際に、日本で初めて人工衛星を打ち上げたのは1970年であり、アメリカが月面着陸をした翌年となっています。
世界的にみると、国家が開発に着手したのが遅かったという背景もあって人工衛星を打ち上げるのも実は日本はそれほど早くはありませんでした。しかし、そこからの発展が目覚ましいです。転換期になったのが、1980年代からです。1985年になると、宇宙開発事業団を中心として宇宙での有人の実験施設の開発が進められていきました。作られる実験施設が未来の人々の希望になるようにと、そのままきぼうという名称でプロジェクトが進められていきます。
さらに、宇宙探索を目的として独自の開発と他国の協力を目指してきた日本では、1992年になって初めてスペースシャトルでの搭乗に成功します。つまり、日本人が初めて有人飛行で宇宙に行くことになりました。そして、これらのプロジェクトを進めていくのと並行で宇宙探索、つまり小惑星イトカワの探索を目的としたはやぶさの計画が進められました。きぼうは2009年に完成し、はやぶさの成功は2010年に達成され、世界的にも有数の実績を挙げた日本の宇宙開発は、現在では世界をリードするまでに至っています。